これはシリーズ物です。
筆者ラーコは、妊娠中からの夫の不倫により、夫婦関係が崩壊。
子どもが1歳になってすぐに離婚しました。
不倫は、心の暴力です。
する方、乗っかる方は安易な気持ちで始めても、された側の精神はズタズタになります。
当人だけではなく、子ども、親、周りの人の一生を大きく変えます。
そんな覚悟を持って不倫を始める人は、どれほどいるのでしょうか。
自分たちだけが心地の良い世界。
そんな安易な気持ち、行動により、傷つき人生を狂わされる人がこれ以上増えないよう、祈るばかりです。
続きです。
重いつわりに堪える日々
妊娠がわかり、家族の次のステップに進む希望と、愛する夫と共に我が子を育てていけることに、喜びを感じていました。
妊娠したことをホラーマン(元夫)に伝えました。
もう出来たの⁉早かったねぇ!
お互い子どもを望んでいましたが、もともと子ども好きではない夫は、妊娠を喜んでいるのかいないのか、よくわからない反応でした。
そこからすぐ、私のつわりが始まりました。
まず、食べれない、ひたすら気持ち悪い。昼も、夜中も、トイレにしがみついているような状態。
仕事は休めず何とか行っていましたが、吐き気と立ちくらみでほとんど使い物になりませんでした。気持ち悪さに耐えきれず早退することもしばしばありました。
車で30分程の通勤中は、ほとんどビニール袋を片手に運転する状態で、たまに車を走らせながら吐いてしまうこともありました。
米粒を食べようものなら、一粒一粒が引っかかる感じで、食道が熱く異物感、そして吐く。
水を飲んでも吐く。
何も口に入れなくても胃液を吐く状態でした。
食べられないので、病院に点滴に通いました。
つわりの辛さは想像以上でした。
いつになったら終わるのだろう、と一日一日が非常に長く感じました。
それが5ヶ月程続きました。
この間、家事はほとんど出来ない状態だったので、ホラーマンは夜ご飯を外で食べてから帰るようになりました。
つわり中も優しいホラーマン
つわり中も、ホラーマンは優しく、私の体調を気にかけてくれました。
つわりに良い食べ物や軽くする方法を調べてくれたり、病院に付き添ってくれたり。
また、つわり真っ只中に、私の親友の結婚式があり、電車で1時間弱でしたが、身体が心配だからと車で送迎してくれたりもしました。
私が家事がほとんどできず終始廃人のような状態だったため、ホラーマンが最低限の家事をしてくれていました。
私は気持ち悪いながらも、家事もまともに出来ないことに罪悪感と、体調を理解してくれるホラーマンに感謝していました。
いつも「ごめんね、ホントにありがとう」と言っていました。
不倫が始まっていた
妊娠6〜7ヶ月程で、つわりが少しずつ軽くなり始めました。
まだ気持ち悪さは残るものの、掃除洗濯、ご飯も以前のように毎日出来るようになりました。
仕事は相変わらず忙しく、帰宅して夜8時過ぎからご飯を作り始めることもしばしばありました。
そんなある日、洗濯物を干していると、ホラーマンのワイシャツにファンデーションらしきものが付いていることに気がつきました。
なんかファンデーションみたいなのついてるよー!なんだろ〜
ホントだ〜何の汚れだろうね〜
という会話をしたのを覚えています。
まだ仲が良く、コミュニケーションも多く、冗談も言い合える関係性だったので、彼を疑うことは全くありませんでした。
ただ単に何処かで汚しちゃったかなと。
私は全く知りませんでした。
少なくともこの頃から、ホラーマンの不倫は始まっていました。
同じ職場の女性と。
そこから私が出産で里帰りするまで、ホラーマンは2〜3回ほど外で泊まることがありました。
- 大学時代の友達と飲むから泊まってくる
- 休日に仕事の行事があるから、会場の近くで泊まる
今となっては、それが本当かどうかわかりません。ですが、この頃はもう不倫が始まっていた時期でした。
そして、結婚してからそれまで一度も外泊することはなかったことを考えると、きっと彼女といたのでしょう。
もう私のお腹はかなり大きい状態でした。
完全にホラーマンを信用していた私は、全く疑うことなく、
たまには友達とゆっくりしてきてね〜
休日出勤大変ね〜
ファイト〜
と言って送り出していました。
宿泊先でも、私に冗談や体調を気遣うメールがあり、そんな彼に安心していました。
『この時期に不倫に気づけていたなら、今とは違う未来があったかもしれない』
と思うことが、今でもたまにあります。
まだ不倫の浅い段階で止めれたなら…
まだ夫婦を終わらせるつもりのない段階で気づけていたなら…
ただ、このあと彼の本質を知っていくことになります。
それを考えると、
『遅かれ早かれ、同じ結末になっていたことだろう』
そう思えてなりません。
つづく