筆者ラーコは、シングルマザーで銀行員です。
妊娠中から夫の不倫が始まる
→次第に本気不倫に
→出産
→夫婦関係は崩壊
→娘が1歳になってすぐ離婚
このシリーズでは、元夫との出会いから、結婚、不倫、離婚…
その経緯の記録です。
前回の記事はこちら
つづきます。
育休&里帰り
そんなこんなで、出産予定日の1ヶ月半ほど前に、私は育児休業に入ります。
重い身体と多少の吐き気の中、毎日遅くまで仕事をしている生活だったので、やっと少し気が楽になる、と思いました。
実家までは車で約1時間弱の距離。
予定日の1ヶ月ほど前から里帰りする予定でした。
しかし、ホラーマンが提案します。
家事するのも大変だろうから、もう実家に戻った方が良いよ!その間オレも実家に戻ってるから、気にしなくて大丈夫だよ。
ホラーマンの優しさだと思いました。
ホラーマンの勤務する支店は、一緒に暮らすアパートよりも、ホラーマンの実家の方が近い。
『ホラーマンの通勤も楽になるし、私の体調を気遣ってくれてのことだから…』
ホラーマンの提案通り、育休に入ると同時に里帰りすることになりました。
里帰りしてからも、毎日LINEで連絡は取り合っておりました。
出産した日。職場の慰安旅行の日。
ホラーマンと私の働く銀行では、年に一度、各支店ごとに、慰安旅行があります。
支店により、日帰りだったり泊まりだったり、まちまちです。
私は妊娠中ということもあり、その年は旅行に行きませんでした。
ホラーマンの支店の慰安旅行はというと、
- 旅行の日は出産予定日の2週間ほど前
- 同じ県内で、旅館に一泊
- 昼間は観光→夜は旅館で宴会からの一泊→翌日も多少レクリエーションをしてから解散
と聞いていました。
出産間近ではありましたが、予定日より2週間も前でしたし、私もホラーマンも、問題ないだろう、という考えでいました。
しかし、ホラーマンの旅行当日の深夜0時半頃、始まりました。
実家で私が眠りにつこうとベッドに上がった瞬間、破水したのです。
病院に連絡し、母親の車ですぐに病院に向かうことになりました。
病院に向かう車内で、ホラーマンに電話をしたけど繋がらず、LINEをいれました。
急に破水して今病院に向かってる。
このまま出産になると思うからしばらく返信出来なくなるかも。
母親から状況報告するようにしておくね!
旅行での役割もあると思うから、断るの難しければ旅行行っても大丈夫だからね^_^
病院に到着し、すぐ入院することになりました。
それとほぼ同時に、陣痛が始まりました。深夜1時頃でした。
陣痛の始めから、ずっと、ずーっと、凄まじい痛さでした。
普通、陣痛の間隔が段々狭くなる…と聞いていましたが、間隔なんていうものはなく、ひたすらずっと痛かったです。
夜中でしたが当然眠れるはずもなく、喋ったり立ったりする余裕もまったくなく、病室のベッドに座ったまま、とにかく揺れながら、
ゔ〜ゔぁ〜!あ〜!う〜!
とひたすら大声でうなって痛みと戦っていました。
病室のソファで母は寝ていましたが、一緒にいてくれ、たまに背中をさすってくれたりしました。
数時間おきに看護師さんが子宮口を見に来てくれるのですが、何時間たっても全く開きません。
次第に窓の外が明るくなり始めます。
朝6時を過ぎても、子宮口は2㎝ほどしか開きません。
激しい陣痛が止むことはありません。
ずっとうなりながら揺れていました。
朝7時頃、ホラーマンから母に電話が入りました。
ラーコさんの様子はどうですか?
旅行に行きますので、ラーコさんをよろしくお願いします。
というものでした。
痛みと戦う最中だったので意識もうろうでしたが、
『旅行に行くのかぁ』
と少し残念な気持ちと、
『旅行も仕事のうちだから仕方ないよね』
という気持ちもあり、ホラーマンが来れないことは気にしないようにしていました。
そこからも陣痛に耐え続け、お昼12時頃?(この辺りはうろ覚えです)子宮口がある程度開き、分娩室に移ります。
そこから出産がとうとう始まり、お昼14時半頃、とうとう娘が誕生しました。
破水から約14時間後、13時間半の陣痛に耐えぬき、やっと娘に出会えました。
元気に生まれてきてくてました。
やっと、やっと、出てきてくれた〜!
出産前はつわりと戦い、出産時は激しい陣痛と戦い、子ども一人を産むのはこんなにこんなに大変で壮絶なことなんだ…と改めて実感です。
と同時に、3人も産んだ母は、本当に凄い!と尊敬しました。
分娩室の外で待っていてくれた母も、看護師さんに呼ばれて中に入ってきました。
よく頑張ったね。生むの大変だったね。
自然と涙が出ました。
赤ちゃんはとても小さく、看護師さんに「お母さん」と言われても、全く実感がありませんでした。
母はホラーマンにメールで、無事出産できたことを報告しました。
しばらくして母に返信がありました。
無事産まれて良かったです。ラーコさんにお疲れ様と伝えてください。
その後、病室に戻った私は、疲れから眠りました。
身体の痛みと、達成感と、無事生まれた安心感の中、眠りにつきました。
出産しても連絡すらない…慰安旅行は不倫旅行
夕方になり、私から直接ホラーマンに、赤ちゃんの写真を付けてLINEをしました。
今日の14時半頃、無事産まれたよ。
陣痛が凄かったけど、何とか終わった〜☆
今日は旅行でお泊まりだったよね?また連絡待ってるね!
そこから何時間経っても、ホラーマンからの返信はありませんでした。
『宴会で返信もできない状況なのかな?
上司の目もあってケータイ触れる雰囲気じゃないのかな?』
と、仕方ないと思うようにしていました。
旅行で駆けつけられないのは仕方ないにしろ、せめて
『お疲れ様。よく頑張ったね』
の一言が欲しいなと思いました。
しかし、旅行といえども仕事の一貫。返信できない状況なんだと、自分に言い聞かせました。
それだけ、ホラーマンの人間性を信用しきっていました。
翌朝になっても返信は一切ありません。
他の友人や同僚からは、続々とおめでとうメールが来ました。
友人からのメールで、
『おめでとう!旦那さんも喜んでるでしょ〜⁉︎』
という内容もありましたが、まさか病院に駆けつけるはおろか、まだ連絡すらないとは言えず、
「喜んでくれてるよ〜」なんて返していました。
出産翌日の夕方になっても一切連絡がありません。
旅行は昼には終わっているはずなのに…
赤ちゃんとの面会時間が20時までということもあり、遅くに来ても会えないかもしれない!と思い、18時頃、とうとう再度LINEを送ることにしました。
旅行は無事終わったかな?お疲れ様⭐︎
返信ないから何かあったかなと思って。
面会20時までだけど、今日は来れそう?
すると、やっと電話がかかってきました。
連絡できなくてゴメン!今から向かう!19時過ぎには着くと思う!
19時過ぎ、ホラーマンは病室に来ました。
赤ちゃんを眺め、抱っこしていました。
破水から陣痛、出産までの一連の話をホラーマンにしました。
そういう話は怖いからやだ〜
と言い、あまり聞いてくれませんでした。
面会が20時までということもあり、来て30分ほどでホラーマンは帰っていきました。
ホラーマンは、この時間まで連絡が出来なかった理由、来れなかった理由について、まったく触れませんでした。
私も、
『旅行は仕事、そんなことで責めてはいけない。きっと何か連絡出来ない理由があったのだろう』
と思い、何も責めませんでした。
遠いのに来てくれてありがとうね!気をつけて帰ってね!
と見送りました。
何も状況説明もないことに多少違和感はありましたが、ホラーマンを疑うことは全くありませんでした。
しかし、後になって知ることになります。
慰安旅行は泊まりではなく日帰りであったこと。
日帰り旅行の後、同じ支店の女とそのまま2人でお泊まりしていた、ということを。
予定日よりも2週間も前に生まれたので、ホラーマンも想定外だったのでしょう。
子どもが生まれた日、夫は女とのお泊まり不倫を楽しんでいたのです。