筆者ラーコはシングルマザーです。
妊娠中からの夫の不倫により、夫婦関係が崩壊。
子どもが1歳になってすぐに離婚しました。
不倫は、心の暴力です。
する方、乗っかる方は安易な気持ちで始めても、された側の精神はズタズタになります。
当人だけではなく、子ども、親、周りの人の一生を大きく変えます。
そんな覚悟を持って不倫を始める人は、どれほどいるのでしょうか。
自分たちだけが心地の良い世界。
そんな安易な気持ち、行動により、傷つき人生を狂わされる人がこれ以上増えないよう、祈るばかりです。
前回の話はこちら
出産当日に病院にも来ず、女とお泊まりしていた元夫(ホラーマン)。
そんなこととは全く知らない私(ラーコ)。
子どもが生まれた翌日の夜、病院に来たホラーマンは、滞在時間30分ほどで帰っていきました。
続きます。
入院中の夫の訪問は1回のみ…育児との戦い始まる!
入院期間中は、赤ちゃんの取り扱い方、授乳や沐浴、全てが初めてで、慣れないながらも必死です。
友人や同僚たちもお見舞いに来てくれました。
身体がまだ整わない中でも、暖かな時間でした。
入院期間は5日ほどありましたが、その間ホラーマンが病院に来たのは、出産翌日の夜、30分だけ。
ホラーマンの実家から病院までは1時間ほどありましたし、あまり気にしていませんでした。
退院も母に付き添われて行いました。
実家に戻ってからは、もう何もかもが大変!!
夜はとにかく覚醒していて、暗闇でずっと目を見開いている!
閉じて〜寝て〜!!
一晩中抱っこ&ステップで外が明るくなるのを待つ。
ステップをやめようもんならギャン泣き。
おむつ替えるのも寒いのか泣く。
授乳ができているかわからない、不安…。
世のママからしたら
『大変なのは当たり前でしょ』
と言われそうですが、改めてそれを実感です。
姪っ子の赤ちゃん時代を見てきたので想像はしていたのですが、自分の子となると、精神的に全然違うものです。
泣く行為一つにしても、めちゃくちゃ焦ります。
姪っ子の時は、
『泣いてる泣いてる。可愛いな〜』
と客観的に見れていたのですが。
それでも、実家なので母に助けてもらえるのは、精神的にも肉体的にも、かなり救いでした。
出生届の提出は姉と共に
子どもの名前は、あらかじめ二人で決めていた名前、ミー子(仮名)と名付けました。
生まれて2週間以内に、住民票のある市町村に出生届を出しに行かないといけません。
里帰り中の私の実家から、私とホラーマンの居住地の役所までは、車で片道約1時間。
電車はありません。
さすがに、生まれて間もないミー子を長時間車に乗せてはいけない。
私自身、まだ産後で身体が整わず、骨盤もグラグラ、運転をしてはいけない時期でした。
出生届は、両親以外の代理人ではいけないとのこと。
どうやって出そうか悩みました。
ホラーマンに相談します。
まだ身体も痛くて運転できないし、ミー子を連れて行くのも難しい…出生届お願いできないかなぁ?
平日は仕事だから、難しいなぁ
確かに同じ銀行で働いているので、その時期の忙しさや、数字の追い込み時期なのは理解できます。
多少残念な気持ちはありましたが、仕事が大事な人であることはわかっていたので、『そうだろうな』という感覚です。
次に実家で相談しました。
隣町に住んでいる姉が、車で実家まで来てくれ、そこで私を乗せ、私の居住地の役所に連れて行ってくれる。
その間ミー子は、母が実家で見ていてくれることになりました。
姉の家から実家までは車で1時間弱、実家から目的地の市役所までは片道約1時間。
姉と、その間お世話してくれる母には本当に感謝です。
そうして、ミー子の出生届は無事提出できたのでした。
里帰り中の夫との交流
退院してからも、毎日ではないですが、ホラーマンとLINEのやりとりはしていました。
ミー子の状況や写真、また仕事であったことなど。
今までと変わらない雰囲気で、冗談もあり、何も心配はしていませんでした。
1〜2週間に一度は実家に会いにきてくれ、1時間ほど滞在していきました。
遠い中定期的に顔を出してくれることに、感謝していました。
ミー子を抱っこしたり、あやしたり。
実家の近くの堤防で、ゆっくりお散歩をしながら話したりもしていました。
穏やかな時間でした。
子どもを生み、コロッと生活が変わったことに戸惑いはありましたが、ホラーマンや、実家の家族や姉など、変わらないものがあり、安心感と幸福感がありました。
そんな中、あれから出生届について何も聞いてこないホラーマンに、姉と母にお世話になったことを話しました。
そうなんだ〜
一言だけでした。
サラリと流されたことに多少違和感を覚えました。
『お義姉さんとお義母には迷惑かけたね。休み取れなくてごめんね〜』
という言葉をどこかで期待していたんだと思います。
求めすぎですかね笑
以前はそういった配慮のできる人だったことが、違和感につながったのかもしれません。
里帰り期間の延長を何度も提案する夫
もともと出産後1ヶ月で里帰りは終わる予定でした。
出産後しばらくして、ホラーマンはまたしても提案します。
ミー子の世話も大変だろうし、実家にもっといて良いよ!俺も自分の実家の方が職場通いやすいし、落ち着いてから戻れば良いよ。
『お互い少しでも楽になるなら…』
と思い、承諾しました。
慣れない育児と体調を気遣う、ホラーマンの配慮だと、まだ思っていました。
里帰り期間は1ヶ月延長です。
その間も、ホラーマンと連絡はとっていましたが、徐々に実家に来るペースが減りました。
産後2ヶ月目には、2〜3週間に1度、30分程度会いにきて帰る、という感じです。
約束の里帰り期間が終わるころ、またしてもホラーマンが言います。
もう少し実家でゆっくりしたら?
お母さんがいる方が安心でしょ?
気遣ってくれるのはありがたいけど、さすがに長すぎないかな?ミー子もホラーマンに慣れるの遅くなっちゃうよ。
私たち自身も、ミー子のいる生活に慣れていかないといけないし…
急ぐことはないよ。実家に頼れるうちは頼って良いんじゃない?
俺も今の方が仕事通いやすいし、もう1ヶ月伸ばそう!そしたらミー子ももう少し育てやすくなるんじゃない?
もう1ヶ月延びました。
結局、産後3ヶ月間も里帰りすることに。
確かに、実家に頼れると楽です。
ですが、本当に頼りたかったのは、夫でした。
ふと、
『本当にこの子と暮らしたいと思っているのかな?』
という疑問が頭に浮かびます。
しかし、
『私の体調を気遣ってくれてのこと。仕事を頑張る夫の効率も良くなるなら…。それに、はじめから父親の自覚を持つのは難しいから、仕方ないのかな…』
とも思いました。
違和感はありましたが、飲み込んでしまいました。
しかし、実際この期間に、夫は不倫相手との恋人生活を楽しんでいました。
自由にデートができ、遅く帰っても泊まっても誰にも邪魔されない。
『里帰り終了』は、夫にとって『彼女との恋愛の弊害』でしかありませんでした。
おそらく、この里帰り期間中に、ホラーマンの不倫は『本気』に変わったものだと思われます。
『夫婦』という現実ではなく、男女としての『恋人』という感覚がそうさせたのかもしれません。
産後3ヶ月経ち、ようやくホラーマン・私・ミー子3人の生活が始まりました。
そこからホラーマンの態度が急激に変化していくこととなります。